米倉近の周りに集まった 25人の先輩が始めた早苗会は、
私が理容米倉に入店する前に創立されて、
以来 65年を経過しています。
私は早苗会でも米倉でも、特別なことをしてきたわけでなく、
平々凡々とやってきたに過ぎないのですが、
私にとっては、早苗会で教わった事と、
米倉で教わった事とが、一緒なのであります。
そこで米倉の店員教育とイコールの、
その原点にまつわる事物について、
父から教わった古い話をします。
私が家業に入った頃、
現在の大学科の前身、
即ち師範講習が全国各地で行われていて、
月曜日はおおむね父は不在でした。
早苗会の例会場は米倉の銀座本店で、
父の両腕であった中央校講師の、
若月一郎と佐藤栄 (さかえ)が指導しており、
私たち米倉の見習いは全員が参加を許されていました。
父は、会場は勿論、店のすべての備品を、
会員に自由に使わせました。
私たちは見学というより、
実習する個々の会員に望まれて、
米倉の刈布の掛け方やタオルの巻き方、
癖毛直しなどを実際にやったり、
道具や化粧品の説明をしたり、
講師の助手も兼ねて、大変でした。
ところで、めずらしく父がいると、
実習よりも、ほとんど座学になりました。
会員たちには、むしろこれがとても勉強になったようであります。
さて、早苗会が目的として掲げたのは、
「技術・知推・教養の三位一体による理容師的人格の完成」です。
会則の冒頭に書いてあり、古い会員は覚えていると思いますが、
実はこれが米倉の店員教育の目標とまったく同じなのであります。
父は、師範講習の際に、必ずこのことを講義していました。
早苗会は、それの詳しい復習の場で、例えや替えを変えては、
耳にタコができると思えるくらい、度々説いていました。
父は、「学ぶ」とは、技術でも何でも、
自問自答が基本で、自分が体験し覚えることだ。
特に技術は、見たり聞いただけでは覚えたことにならない。
実際にやって体で覚えろ、と強烈でした。
そこで先ず「技術」。
理容師は、理容技術のプロでなければなりません。
ところが技術はホドホドにして、経営やり方を重視する、
という理容師がいますが、自分はその考えに組みしない。
それは経営のノウハウは無用と言うのではなく、
理容師は、ほかの何よりも、技術を大事にしろ
ということなのです。
難しいことが楽にできるのがプロです。
百発百中がプロです。
だから初めてのお客様に初回だからうまく出来ない、
と言いわけをするのは落第で、
初回から上手で、次回は更に上手にやるのがプロだということです。
お客に求められる技術がプロの真骨頂である、と説いていました。
だから技術を、考え考えやるのは技術が身についておらず、
まだ未熟な証左だと言うのです。
プロは即座に判断し、実行するものです。
しかし考える時期、それも深く考えて実際に習練する、
そうした修行期間を経過しなければ、プロにはなれない。
ただただ一所懸命にやるのだ。
試行錯誤もある。
しかし技術には完全や終点が無いことを覚悟しろ。
但しやればやっただけ上達するのが「技術」なのだ、
と激しく言っていました。
「一芸を貫くものは百芸に通ず、百芸に通ずるものは一芸を貫かず」
と教わりました。
相撲で一番強いのは横網だ。
横綱にはどうしたらなれるか。
相撲には四十八手裏表があるが、
全部を覚えても横網にはなれない。
そうではなく、絶対に負けない手を一手もてばなれる。
型の習得から始め、基本を超えるまで励み、
相手に負けない手を身に付けるのだ。
それには厳しい稽古以外に道はない。
負けない一手を身に付ける努力をすれば、
すべてが判ってくるのだ。
そして本場所で負けなければ、必ず横網になれる、
というわけです。
父は、度々相撲や役者の稽古などを例に挙げていました。
それらは理容も同じだからです。
技術には基本があり、基本には 「型」がある。
基本を無視した技術はない。
例えば書道では、「楷書」が基本です。
楷書を徹底して学習しないと、草書も行書も本物になりません。
絵画も音楽も同じで、
基本をトコトンやらなければ、
本物は身につかない。
だが徹底してやると、知らず知らずのうちに基本を超えて、
「誰にも真似できない技術」が身に付く。
それが「独創」なのだ。
そこで初めて「自分の型」を持つプロになる、というのです
基本の型は「わざ」すなわち技法と、「だんどり」
すなわち優先順位や順序、
そして「てぎわ」すなわち理に適い、無駄がない。
この三つの要素で成り立つと言っています。
父は、チョッと他人と違ったことをすると、
「独創」というようだが、大抵は深みがなく、
その人の思い付きの所作で、少し異なったにすぎず、
繰り返すと同じにできない。
独創には、知的で深遠な、
そして重厚に練られた技術がなければならないのだ。
「ひらめき」を否定しているのではい。
むしろ専門についての深い思索と、
智慧と体験から生じる「ひらめき」こそが、
プロの財産であり、
繰り返し同じに出来て、
しかもそれが更に向上し、
上達するのが本物の「独創」なのだ
と鋭く言うのです。
ところで母親が、娘の髪をカットしても、技術とは言いません。
しかし理容師がやると技術と言います。
何が違うのでしょうか。
プロとアマチュアの違いの第一は、専門知識の有無です。
理容師は、理容の専門知能をもつ者です。
合理的科学的な裏付けをもって無駄なくやる。
技術は理論に裏付けられていなければならない。
つまりどこをどの様にカットすると結果どうなる、
と判っていてカットするのがプロなのだ。
自分の技術を、理論に基づいて説明できるのがプロなのだ。
だからお客様に、こと理容に関して「知らない」と言ってはならない。
使用する鋏、櫛、レーザー、タオル、ブラシに至るまで、
良し悪しを知らなければならない。
プロはそれを手段にして、理容を職業にしているのだ、
と父は熱心に説くのです。
ところで、店で使う化粧品について、知って使っていますか。
医師は治療に薬を処方します。
私たち理容師は、衛生の見地から化粧品を使います。
では原料や処方を知ったうえで使っていますか。
理容学校で化粧品について学ぶのはその為ですし、
「石鹸」の原料や製法は、義務教育で教わる常識のレベルです。
石鹸は化粧品の基本となるもので、
その原料と製法を知るだけでも、かなりの知識が身に付きます。
そして知ることが重要なのは、自分が自信をもって、
安心して仕事ができることであり、
安心し自信をもって仕事をすれば、お客様も安心し、
こちらを信用してくれるのです。
理容を裏付ける知識、関連する皮膚や生理学、
消毒学、公衆衛生などの知識を身に付けるのは
プロならば当然であり、勉強し、取得すべきことだと、
これを繰り返し、説いていました。
初期の頃の早苗会で、ベルツ水とアストリンゼント、
バニシングとコールドクリームの違いや処方を
父から教わった記憶があります。
戦災で工場を焼失するまで、化粧品会社を営んでいた米倉では、
現在も全店で使うアフターシェープローションは私の処方です。
しかし、社会に受け入れられるには、
もう一つ大切な事があります。
それは「教養」です。
私たちはお客様に接してこそプロです。
社会に通用し、価値を認めてもらわなければならない。
それには、言葉遣い、礼儀作法、そして常識などの「教養」が、
身に付いていなければなりません。
理容師の人格の中心になるのは技術だが、
人格形成で大切なのは「教養」だと父は断言します。
ですから技術の練磨と共に、伝統的なものでも、
現代的なものでも「よい」と言われる事物に、
積極的に触れることを、私たちに求めました。
よい音楽を聴く、よい絵画を観る、よい芝居を観る、
勿論その道の専門家になるのではないのだから、
何をどのように感じたか、
素直に良さを感じることが肝心なのだ。
特に若いうちは「はやり」「すたれ」のない
「品のよい事物」に触れろ、と語気が鋭かった。
今の言葉で言うと、マナーをわきまえ、
品性をつちかい、感性を育て、
美的センスを身に付けて、品位を高めろ、
ということでしょうか。
よい技術、よい理容を目指したいのなら、
よいことを見聞しなければ、
よい技術はできず、よい理由にならない。
丁寧なことを体験していれば、雑な仕事はすぐ判る。
雑な仕事をいくら重ねても丁寧な仕事にはならない。
よいことを知っていれば、よい仕事ができる。
旨い料理食ったことがない板前に、
おいしい料理が造れるわけがないだろう。
よいことを知らなければ、善悪、良否の判断を誤る。
本物を見、本物を知れば偽物はすぐわかる。
価値づけるのは「教養」だ。
人間として向上し、そして理容の価値を高めるために、
よい事、よい物に触れ、よい事を体験しろと、
口やかましく言っていました。
理容料金についても触れていました。
お客にとっては、技術が巧くて当たり前なのだ。
料金を高くしたいと思うのなら、
その料金以上の価値があれば、お客は納得する。
例えば、洗髪は家でもしている。
それを素人のお客より上手に洗い、上手に拭くから、
料金を頂戴できるのだ。
近頃はヒゲも自分で剃る。
我々もシェービングでは剃刀の扱いは注意するだろう。
ところでそのあとの顔面仕上げはどうか。
お客が自分の顔を自分で拭くよりも、
プロとしてそれよりも上手にタオルを扱って、
お客の顔面を拭いているか。
客より下手でぞんざいでは詐欺に等しいではないかと、
激しかったものです。
そして師範講習などでは、
一人一人の理容師がよくなれば、
必ず理容業がよくなる。
そして理容業がよくなれば世の中もよくなる、
と呼び掛け、「業即信仰」の話までもしたものでした。
褒められもしましたが、随分と叱られました。
弟子の私たちに対して一番多かった小言は、
「品が無い!」でした。
理容は文化だ、という父は、早苗会の実習の場でも、
或いは理容競技会の場でも、
たとえば技術の品格・品位について、
厳しい指摘をしていました。
つまりそのとき価値を感じても、
下品だと時を経るに従って次第に価値を失い消滅する。
それは髪型の品に留まらず、
理容全体の品位・品格に連動する。
技術の手際がよく、巧みであっても、
品が無ければ駄目だ。
流行を否定するわけではないが、
はやる価値より、遺る価値があるのは、
文化として価値が高いのだ、と厳しかったものです。
教わった通りにならないうちに、歳をとってしまいましたが、
今も、これからも、私は早苗会の会員でいる限り、
「技術と知杜と教養の三位一体による理容師的人格の完成」を、
目指します。
時代は変わります。社会も変化します。
しかし変わらないもの、変わってはならないものがあります。
教わった事は膨大で、多岐にわたりしかも深く、
とても言い尽くせません。
いくらでも話が長くなりますので、この辺で終わりにします。
有難うございました。
(平成28年10月17日 早苗会全国研修会においてのお言葉)
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