『業 即 信 仰』
「信仰」それは信じて疑わぬことであって、純粋な心、これ以外のものはない。
しかも、自分の業に打ち込んだ生活、すなわち生業になりきるということ、
それを私は「業即信仰」であると思うのである。
おのれの業を金儲けに考えたり、
自分の生家が代々やっているからやむをえずやっていたり、
自分の都合で業をしているのは、業になり切ってはいないのである。
これでは、自分の業を信じているとはいえない。
自分の業ほど大切なものはなく、朝起きたら店へ出ることが生きがいであり、
他のことは何も考えないで、一日中喜んでお客様を送り迎えのできること、
これらの心境が得られれば、楽しい毎日を暮らすことができる。
世の中で、これが一番良い業というものはない。
また、どの業が良くて、どの業が悪いというものもないのである。
その業を行なう人の人格のよし悪しによってさだまるのである。卑しい人がやれば卑しい業となり、立派な人が行えば立派な業となる。
自分の業は自分次第で良くも悪くもなる。
自分を打ち込んで、毎日を楽しく働けるように自分でしなければならぬ。
行ないの一つ一つに細心の注意をはらい、
研究心を働かして一生懸命に精進すれば、
ますます仕事の意欲もわき上がり、
知らず知らずのうちに楽しい境地を持つところとなる。
錬磨に練磨を重ねて修行を積み、
独特の味を持つに至るとき、信仰的な生活となる。信仰を持つ者に不平はない。
業に信仰を持っている人は、人を信じて疑わぬので、
他人を疑うようなことはしない。
もちろん店員にも疑われることもない。
信じて疑わぬ心の生活を第一条件として、技術にも、サービスにも、
感謝の精神がみなぎるならば、
お客様の方も感謝して料金をくださる心となり、繁栄は必定である。
お客様は、店の信者であり、本尊の神様であり、
また、店の大切な財産である。
ありがたく感謝して働いていれば、儲けようと思わなくとも儲けさせてくださる。
先方から料金を運んでくださる神様なのである。
貧乏したくても、貧乏させぬものは、「業即信仰」の心構えである。
米 倉 近
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“感謝”
松下(幸之助)さんは東京へ来られると必ず手前どもの店へ寄ってくださる。
そしていつも出る言葉が"感謝"。
商売に感謝する人、商売に信仰をもつ人は、人を疑いません。
人を信じる。
人を信じるから大事業ができるんであります。
人を信じない人は大事業にはなれません。
業を信じ、人を信じ、全てを信じていくからこそ
感謝になってあらわれる。
商売に感謝するから働く者も感謝して働く。
感謝をもって製品をつくるから、買ったお得意様も感謝する。
みんなが感謝するんだからその事業は潰れるわけがない。
私は店の者達にこういうことを言っている。
たくさんのお客様に満足を与えようとする前に、
一人の不満足を出すな。
そして、
お客様から感謝されて料金をいただく。
"有り難う"
とお客様のほうから言っていただけるようなら、
本物だ。と
米倉 近
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